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Ⅰ.はじめに

 老化は種・個体間で多様性をもちながら普遍的に存在する生命現象であるが,その制御メカニズムは未だ多くの謎に包まれている。以前は老化の過程は無秩序に生じるものと考えられていたが,今日一定の分子制御を伴った生命現象であることが明らかになってきた。老化により,肥満・メタボリック症候群といった生活習慣病が増加することが知られているが,生活習慣病そのものが老化を進行することが今日わかってきている。老化研究において種を超えて保存され,且つもっとも研究が進んでいるのがインスリンシグナル経路である。多くの種,実験モデルを用いた研究により,インスリンシグナルの抑制は寿命を延長することが報告されている。そのため,肥満・メタボリック症候群が老化を進行する主な原因は,高インス

リン血症を介した,インスリンシグナルの活性化が主因であると広く受け入れられている。肥満はインスリン抵抗性の主因であり,膵臓におけるインスリン分泌能の代償がきかなくなると糖尿病を発症することが知られているが,今日,肥満に伴うインスリン抵抗性,糖尿病の発症に,脂肪組織における炎症が関与していることが明らかにされている。肥満が老化を促進する分子機序は長らくわかっていなかったが,先日我々は肥満モデルの脂肪では炎症が惹起されること,炎症が惹起されると活性酸素が上昇し,DNA障害を介したp53の活性化により脂肪老化が促進することを明らかにした(図 1)。このように,老化は肥満,インスリン抵抗性(高インスリン血症),炎症と密接な関係があるといえる。

〔千葉医学 88:33~ 35, 2012〕

千葉大学大学院医学研究院循環病態医科学Ippei Shimizu, Tohru Minamino and Yoshio Kobayashi: Excessive insulin signaling induce cardiac aging. Department of Cardiovascular Science and Medicine, Graduate School of Medicine, Chiba University, Chiba 260-8670.Tel. 043-226-2556. Fax. 043-226-2096. E-mail: [email protected]

〔第三回千葉医学会奨励賞〕

インスリンシグナルと心老化

清 水 逸 平  南 野   徹  小 林 欣 夫

要  旨

 心臓のインスリンシグナルと心不全との関連は未だ明らかではない。我々は,持続的な圧負荷は過剰なインスリンシグナルの活性化により心不全の発症・増悪を促進することを明らかにした。圧負荷モデルでは心不全慢性期において,全身のインスリン抵抗性が惹起され,血漿インスリン濃度の高値を示した。肝臓ではインスリン抵抗性が惹起されていたが,心臓では対照的にインスリンシグナルは著明に活性化していた。その機序として心筋組織の伸展刺激によるインスリン受容体の活性化が重要であることがわかった。本研究によって,高血糖を改善するためにインスリンを用いることは,心臓に圧負荷が生じている状況では心機能に悪影響を与える可能性のあることが明らかとなった。これらの結果は,高インスリン血症が心イベントと関連することを報告した臨床研究の結果とも合致するものであり,心不全の治療において,臓器間のインスリンシグナルの調節を標的とした治療は不可欠であると考えられる。

 Key words: 心不全,インスリンシグナル,老化,炎症

34 清 水 逸 平・他

Ⅱ.心臓老化とインスリンシグナル

 動物実験を用いた多くの研究では,インスリンは不全心に対してアポトーシスを抑制するなどで保護的に作用すると報告されている。その一方で,複数の臨床研究により全身のインスリン抵抗性(高インスリン血症)が心イベントと関連することが報告されており,心臓のインスリンシグナルと心不全との関連は未だ明らかではなかった。我々は本研究で,持続的な圧負荷により心筋組織内のインスリンシグナルが過剰に活性化し心不全の発症・増悪を促進することを明らかにした。圧負荷モデルでは心不全慢性期において,全身のインスリン抵抗性(高インスリン血症)が惹起され,血漿インスリン濃度の高値を示した。肝臓ではインスリン抵抗性が惹起されていたが,心臓では対照的にインスリンシグナルは著明に活性化していた(図 2 )。その機序として心筋組織の伸展刺激によるインスリン受容体の活性化が重要であることがわかった。圧負荷により心筋細胞肥大が生じると,血管数とのミスマッチが生じ,心筋組織内の虚血を介した心筋細胞死により心機能の著明な低下が生じるが,高インスリン血症を抑制すると,心筋細胞肥大とそれに伴う心筋組織内の虚血が抑

制され,心機能は保たれていた。遺伝子改変モデルを用いてインスリン受容体を心筋細胞特異的に減少させることによっても,心筋組織内の虚血が抑制され心機能は著明に保たれた(図 3)。 1型糖尿病マウスでは著明な高血糖にも関わらず,圧負荷後の心機能が保たれていたが,インスリンで治療を行うと高血糖が是正されるものの,心筋組織内の虚血と心筋細胞死が惹起され,心機能は著明に低下した。本研究によって,高血糖を改善するためにインスリンを用いることは,心臓に圧負荷が生じている状況では心機能に悪影響を与える可能性のあることが明らかとなった。これらの結果は,高インスリン血症が心イベントと関連することを報告した臨床研究の結果とも合致するものと考えられ,糖尿病のみならず心不全の治療においても,臓器間のインスリンシグナルの調節を標的とした治療は不可欠であると考えられる(図 4)。 心負荷時に心筋組織のインスリンシグナルが活性化することは,マウスによる心筋梗塞モデル,本態性高血圧ラットでも認められており,不全心に共通した病態である可能性が高いと考えられる。 また,最近我々は心不全時に全身のインスリン抵抗性が生じる機序として脂肪組織における炎症が重要であるという知見を得ている。心不全時には交感神経系の亢進を介して過剰な脂肪融解が生じ,p53依存的な脂肪炎症が生じることが全身のインスリン抵抗性の主因であることが明らかとなった。心不全時に生じる脂肪炎症により生じる

図 1  肥満により,脂肪組織にで炎症が惹起され,p53の蓄積を介して脂肪老化が進行する。

図 3  インスリン受容体を心筋組織特異的にノックアウト(heterozygous)し,インスリンシグナルが入りにくくなったマウスに圧負荷を作成すると,心筋組織内虚血が生じにくくなり,心機能は保たれる。

 CIRKO: 心筋組織特異的インスリン受容体ノックアウトマウス , IVST: 心室中隔壁厚 , FS: 左室内径短縮率 , LVDs: 収縮末期左室径

図 2  圧負荷時には心筋組織内のインスリンシグナルが著明に活性化する。

 Sham: コントロール,TAC: 横行大動脈縮搾術(圧負荷モデル)

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全身のインスリン抵抗性が,心不全の発症,進展と密接な関係があることも明らかとなり,脂肪炎症の制御が新たな心不全治療の創出につながる可能性が高いと考えられる(Cell metabolism in press)。

Ⅲ.おわりに

 インスリンシグナルの抑制により寿命が延長すること,年齢依存的に増加する心不全が抑制されることが今日明らかとなっている。我々は,不全心では心筋組織内のインスリンシグナルの著明な活性化が生じており,心不全の発症,進展に不可欠な病態であることを明らかにした。心不全時に心筋組織内のインスリンシグナルが過剰に活性化される機序の一つとして,脂肪組織において炎症が惹起されることで生じる全身のインスリン抵抗性(高インスリン血症)が重要であることも明らかとなった。心不全時に心筋組織内で過剰に活性化するインスリンシグナルは不全心において心臓老化を促進し病的な形質を顕在化している可能性があるが,心筋組織のインスリン受容体を完全に欠失させると著しい心不全を発症することも分かっており,心筋組織内のインスリンシグナルの最適化を目指した心不全治療が不可欠であると考えられる。

図 4  圧負荷時には肝臓においてインスリン抵抗性が惹起され,血中のインスリン濃度が上昇する。また,伸展刺激により直接インスリン受容体が活性化される結果,心筋組織内のインスリンシグナルの活性化が生じ,心肥大が進行し,心筋組織内虚血が生じ,心機能が低下する。


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